飲食業DX-過去から学び未来をどう描くか?元外食チェーン本部長の連載記事1

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今こそ考えたいDXの意義とは?

今回から3月末まで6回の連載で『飲食のDXと成功・失敗しないための鉄則』についてお伝えする。そのためには「過去から学び、今をどう捉え、未来を描く」ことがより確かな手順と考える。私はこれまで46年間、2つの飲食(外食)企業で仕事に携わってきたが、その間の社会と業界の変化は直線的な動き、つまり過去のトレンドの延長にある動きと、全くの新しい不連続的な動き、つまり過去とつながっていないように見える動き、があるように思える。

先が読みにくい時代だからといって、先を読まなくて良い、あるいは先を読んでもムダということでは無い。むしろ企業の存在意義と経営方針を明確にして、迅速に世の中の変化に対応することが重要と考える。私は、DXはそのための道具であり、必要な条件と考える。飲食業についても多くの書籍やコメントが出されているが、その多くは飲食業界に従事されていない方のものが多いように感じる。飲食業界に身を置いた1人として、皆さまの未来のお役に立てることが出来れば幸いである。

前半の3回では、まずはチェーン化企業を中心に歴史をおさらいしたい。1970年以降約50年間の飲食業界の動きに触れる。特に1995年以降の約25年間に何が起きたか、後に述べる業界各社の軌跡が、その時々の経営判断とその時代の技術を使っていかに経営を行ったかと言える。さらに、ちょうど丸3年にもなろうとするコロナの影響にも触れて今後の飲食業のあり方を考えるきっかけとしたい。コロナに対する認識の違いは今後の企業経営にとって大きな分岐点となる。

後半の3回では、経営の要点である「飲食業のマネジメント」の意味と組織のあり方、さらにIT、やDXの意味、そこで働く人のことも考えてみたい。働く人の成長こそが企業の成長となり、それを支援するためのDXと言える。DXを技術論やノウハウとしてだけ捉えるのでは無く、自社にとって何のためにと考えることが、成功する、つまり失敗しない最大の要点と考える。

 飲食業界の50年 1970年(外食産業元年)~1995年

日本に外食産業という言葉が世の中で知られるようになったのは、1970年(昭和45年)と言われる。いわゆる大阪万博の年である。ロイヤル(現ロイヤルホールディングス株式会社)は万博内の米国ゾーンで500Km離れた福岡のセントラルキッチン(CK)と連動する物流、店舗運営の仕組みにトライした。ステーキハウス、「ケンタッキーフライドチキン」などを運営して大成功。事前の社内の懸念を一掃した。このことは後の全国展開と外食産業化の足がかりとなった。

同年、米国飲食業界の視察を契機として、創業家の4兄弟が経営する現在の株式会社すかいらーくホールディングス(以下すかいらーくHD)が東京都府中市に郊外型ファミリーレストラン(FR)「すかいらーく」1号店を開店、時代の流れに乗った同社は先行企業のメリットを活かして主に多摩地区を中心として急拡大、その後1993年には各業態を合わせてテーブルサービスのレストランとして初の1,000店舗となるなど、今日の土台を築き上げた。

また「デニーズ」も当時の株式会社イトーヨーカ堂(現セブン&アイ・ホールディングス)が1974年に1号店を開店、私は当時大学4年生であったが5号店までを見学し、その時の感動を今でも思い出す。店内はまさにアメリカであった。デニーズも1980年には100店舗となるなど急拡大。ほぼ同時期にロイヤルも福岡で数店舗であった「ロイヤルホスト」を全国展開向けにブラッシュアップして1976年に東京進出し、まさにFRの競争と切磋琢磨の時代となった。

さらに、元は米国ブランドである「ココス」も1980年茨城県に1号店開店、今日に至る。当初はスーパーの外食部門が発祥、現在はゼンショー傘下のブランドである。

明日は今日よりも良くなると思える時代

日本は昭和30年代(1955年以降)から続く人口増と経済成長を基盤とした郊外への住宅地拡大と車社会の浸透の下、徐々に外食を含む食生活と家族での行動のあり方が変わった。また、1971年には東京・銀座にマクドナルド1号店が開店、その後のファーストフードの社会的な影響は大きい。さらに、吉野家が国内と米国で急拡大する中、1980年には会社更生法の適用を申請するなど社会的にも大きな話題となり、外食業界と働く人にも冷や水を浴びせることになったが、「うまい、やすい、はやい」と言う言葉に代表される、その後の復活と今日に至る牛丼業態各社の拡大も注目される。 

さらにFR業態では、早い時期から和食のチェーン化も進んだが、現在も一定規模の店舗数を維持しているのは大阪の「さと」、名古屋の「サガミ」、埼玉の「とんでん」、そしてすかいらーくHDの「夢庵」、「しゃぶ葉」他である。合わせて1990年代以降、今日に至る回転寿司や焼肉業態の発展、さらには、「バーミヤン」「餃子の王将」などの中華業態の拡大、カフェ、居酒屋の創業・拡大も相次いだ。FR業態以外にも「丸亀製麺」「かつや」や「天丼てんや」、ラーメン店など、やや小型の専門性の高い業態も成長しており、国民生活に寄与していると言え、まさに外食産業と言える。

ちなみに、昭和50年代(1970年以降)に外食事業を拡大・進出した大手小売り業(主にスーパー各社)だけで10社あまり、また大手の食品・飲料メーカーも10社あまり、その他商社や米国の外食企業の日本進出もあり、市場の拡大を見込んでまさに外食産業時代が幕を開けたが、2000年までその勢いを保ち生き残った企業・ブランドはごく僅かである。

つまり、現存する外食企業の上位の大半は1960年代から70年代を生き抜いた企業とその後に勃興した企業であることは忘れてはならない。その生き残りの要因は極めて重要と考える。またいずれも、主力ブランドに加えてM&Aなどによるマルチブランド企業が増える傾向にある。私が過去から学び、と言う理由もここにある。

1970年代から1990年代前半まで、競合対策と収益上の必要性、さらに顧客のニーズもあり、各店の営業時間も次第に伸び、24時間営業店が増加、さらに小売業も含めて徐々に正月営業も始まった。今日は逆方向である。当時は経済が右肩上がりで成長、個人所得の上昇が継続して、明日は今日より良くなるといった期待が多くの国民の共通認識であった。参考までに書くと、これは2010年以降のASEAN各国の状況と似ているといえる。

外食産業 規模の拡大とシステム化の動き

1970年代以降、業界の競争が激化する中、各社はシステム投資を進めたが、その頃、DXはもちろん、ITと言う言葉も無く、情報管理システムや経営管理システムと言う言葉であった。活用範囲もPOSを中心とした店舗運営、POS情報を活用する発注やCKの生産情報活用、さらには経理、人事業務の合理化を目指したもので、POSを除けば他業種と大きく変わりは無かった。

システムの視点から見ると、出店地域拡大と店舗数・事業所数の大幅な増加、長時間営業、これらが進む中で業務課題を技術でどう解決するかという時代であった。飲食業界においても特にチェーン化を進める先頭集団を中心に、業績の変動がある中で、基本的には事業拡大を前提に情報システム部門の充実を進めて、今日に至る外食のIT化への一歩を作ったと言える。

但し、その後のICT(情報通信技術)の進化は著しく、DXに向けて何をするべきか、という考えに至るのは先のことである。1990年頃までのPCの話をすると、PCとは言うものの各個人が使っているモノでは無く、主に計数管理担当者だけが使用しているモノで、遠くの人には計算したデータを主にFAXで送っていた。DXの視点からは、データの連携による活用はまだ先のことであり、DX化を始める際の事例として、データをつなぐことが重要であるという話につながる。

時代の曲がり角は見えていたか

少し時代は飛ぶが、順調に拡大してきた外食業界に伸び悩みの懸念が見えてきたのが1980年代後半であった。競争激化と売上の伸び悩みの中、飲食業界ではすかいらーくが「ガスト」を出店、その後「すかいらーく」の大多数の店舗を業態転換したことがその代表である。ここで「ガスト」や「サイゼリヤ」のように売り物を安くするためにローコストオペレーションを実現した。その結果、来客数を増やして収益性を高めて企業の存続を図るやり方と、価値を高めることに重点をおいて生き残りを図る方法がある。

どちらが正しいということは無いが、前者の場合も後者の場合も質や満足度を維持あるいは高める努力が必要であるという点に留意する必要がある。つまり、国民の所得の推移により、安い方が良いという多くの顧客が存在していることも知っておく必要があり、長期的には価格と質が見合っているか、ということが重要と言える。

大まかに1986年12月から1991年2月頃がバブル経済期と言えるが、その後1992年からの20年間は後に失われた20年とも言われる。実は日本の外食業界の売上規模はこの50年間順調に拡大を続けてきたわけでは無い。日本フードサービス協会の統計によると、市場規模は1975年の約8兆6千億円から1997年の約29兆円まで順調に拡大したものの、以後はこれをピークとして下がり、今日に至るまでこれを上回ったことは無い。

ちなみに、日本の総人口のピークは2020年であるが、1997年には初めて65才以上の人口の15.7%を占め、0-14才を上回る。つまり少子高齢化が目に見えて進み始めた年でもある。(総務省統計局国勢調査)人口と人口構成は外食のみならず多くの事業にとって最大の影響要因である。このことへの対処は、長期に渡る働き手の減少の中で生産性向上を実現するためのDXの重要な役割と言える。まさに、ドラッカー(1909-2005)の「すでに起こった未来」である。

ネットやスマホからDXへの入口へ 経営者の認識は?

その後の日本の大きな社会変化と今日のDXにも影響する出来事は、1995年のWindows95の登場と1996年のYahoo!、2000年のGoogleやAmazonのサービス開始、2008年のiPhoneの登場である。インターネット利用率(個人)は急激に高まり(1997年9.2%→2000年37.1%→2010年78.2%→2021年82.9% 令和4年総務省通信利用動向調査)、まさに「どこでもネット」の社会環境となり、個人ではスマホによるネット利用がPCよりも高くなっている

この流れに対してこれまでの飲食企業のIT化の動きはPOSレジや受発注システム、経理・人事システム等の範囲に限られることが多く、その導入も一気にということでは無く、順次導入であり、そのシステムも全社横断的なシステム構築となっていない場合が多い。

その理由としては、まず第1に従来の導入費用/投資額が高く、導入効果を見える化して、その内容を経営陣に理解してもらうことの困難さにある。コンピューター/サーバーへのハード投資に加えて自社内に設置することによる自社内人員のコストとソフト費用も含めての話である。しかしながら、急速に進むクラウドの進化により、オンプレミスと言われる自社内設置・運用へのこだわりの壁を突破しつつあるように思える(クラウドは不安という考えを持つ人もいるが)。

従来の情報システムは一端導入するとそのコストが日常的な費用、つまり固定費となり、数年後にシステム改修や新規導入するとさらにコストが上乗せされる傾向があった。しかしながらITの進化と相対的なコスト低下により、5年前、10年前にはコストが見合わなかったものが、SaaS(ソフトウエアアズアサービス)と呼ばれる様々なサービスがその導入のハードルをクリアし始めている。システム担当者は諦めずに費用対効果を見える化することが競合他社に先んずる具体的なDXの一歩となると言える。

DXのゴールを見据えながら一歩一歩進めない限りいつまで立ってもゴールには近づかない。ここ数年、ITの進歩と新たな技術や用語などが目立つ中、最近はDXが話題になっている。経営陣の多くは世の中の動きを横目で見ながらも導入しないか、あるいはシステム部門や事業部門の熱意が強く、それならやってみようと導入することになる。重要なことは我社(自社)にとってのDXの意味を見出して、トップが先頭に立ち、全社一丸となって取り組むことである。これが成功につながる。その取組みによってDXの成功と失敗が生まれることになる。

外食市場規模は、2020年にはコロナの影響で18兆2千億円となり、前年を30.7%下回るなど厳しい状況が続いている。2021年においても2019年対比で16.8%の減にとどまっている。しかしながらその中で上位のチェーン化、特にマルチブランド企業のシェアは次第に拡大、上位集中が進んでいるのが事実である。まさに外食産業化は今も進んでいると言える。

次回はコロナ前後で何が変わったかと言うことと、飲食業界とDXとの関わりを述べたい。